陸王 茂木のモデルは?

陸王 茂木のモデルは?

陸王に出てくる茂木裕人のモデルはいるのでしょうか?ロサンゼルスオリンピックとソウルオリンピックの日本代表選手だった瀬古利彦選手がモデルと言われています。瀬古利彦選手はどんな選手だったのでしょうか?陸王茂木モデルを紹介します。


陸王茂木裕人のモデル瀬古利彦さんの経歴

瀬古利彦さんは1956年三重県桑名市出身です。陸上競技部の強豪校四日市工業高校に入学しました。

入学直後から、瀬戸利彦さんは中距離走で頭角を表しました。全国高等学校駅伝競争大会では3年連続”花の1区”を走りました。

高校卒業後、中央大学への入学が決まりかけていましたが、断って早稲田大学の一般入試を受けましたが不合格でした。

翌年、早稲田大学に合格しました。早稲田大学入学後、競走部に入部しました。

中村清監督からマラソンをすすめられました。ここから、瀬古利彦さんのマラソン選手としての人生が始まりました。

箱根駅伝では1年生の時から4年生まで”花の2区”で走りました。3年生と4年生の時区間新記録を出しました。

 

大学を卒業した後、ヱスビー食品に入社しました。

1980年のモスクワオリンピック日本代表選手として出場する予定でしたが、ソ連のアフガニスタン侵攻より、日本選手達はモスクワオリンピックに出場できませんでした。

1984年ロサンゼルスオリンピック日本代表選手として、出場しました。

1988年ソウルオリンピックにも、日本代表選手として出場しました。

第1回国際千葉駅伝日本チームのアンカーを務めました。その試合の後、引退しました。

引退後瀬古利彦さんはエスビー食品陸上部監督に就任しました。1990年から4年間早稲田大学競争部のコーチを兼任しました。

2006年エスビー食品陸上部の監督を退任しました。その後、日本陸連の役員・解説者・東京都教育委員を歴任しました。

2013年4月1日DeNAランニングクラブ総監督に就任しました。

陸王 茂木裕人の経歴

竹内涼真さん演じる茂木裕人は、ダイワ食品の陸上部の選手です。箱根駅伝の5区を走った有力選手でした。

豊橋国際マラソンで足を痛めてしまいます。足を痛めた原因は走法によるものでした。

 

アトランティス日本支社から契約解除を言い渡されてしまいます。

しかし、こはぜ屋のシューズ”陸王”を履いた茂木裕人は、完全復活しました。

 


陸王 茂木裕人と瀬古利彦選手の共通点

竹内涼真さん演じる茂木裕人と瀬古利彦さんとの共通点はどこなのでしょうか?

茂木裕人と瀬古利彦さんは、野球少年でした。

茂木裕人はもともと甲子園をめざしていたのです。瀬古利彦さんも中学時代、野球部で、しかも投手でした。

瀬古利彦さんのところに、強豪校から誘いがきたそうです。

中学時代の瀬古利彦さんは、甲子園を目指していた野球少年だったのです。

茂木裕人は箱根駅伝に出場しています。瀬古利彦さんも大学時代箱根駅伝に出場しました。

茂木裕人の所属はダイワ食品陸上部です。瀬古利彦さんの所属はエスビー食品です。

茂木裕人と瀬古利彦さんは食品会社に所属していたんですね。

 

また、この二人には強力なライバルがいました。

茂木裕人には、佐野岳さんが演じいる毛塚直之がいます。瀬古利彦さんには、宗猛さんがいました。

陸王モデル・瀬古利彦選手のプレッシャー

陸王の茂木裕人は足を痛めた原因の走法を改良して、復活するため頑張っています。

瀬古利彦さんも選手時代苦労していたようです。瀬古利彦さんの場合、ロサンゼルスオリンピックで金メダル有力候補と言われていました。しかし、結果は14位でした。

瀬古利彦さんに、いったい何があったのでしょうか?

ロサンゼルスオリンピック前に、瀬古利彦さんは東京国際マラソンと福岡国際マラソンで優勝しました。

その後、瀬戸利彦さんはプレッシャーに悩まされました。1984年に入ると、体に倦怠感があったそうです。

瀬古利彦フィーバーのおかげで”金メダルがとれなかったらどうしよう。”と強い不安感に襲われました。

不安な気持ちを消そうと練習量を増やしてしまったのです。

体に倦怠感が強かったら休めば良かったのですが、中村清監督に休みを申し出ることが出来ませんでした。

中村清監督から”ガンになった”ことを告げられていたので、言えなかったそうです。

オリンピックの試合の2週間前に血尿が出てしまいました。

瀬古利彦さんはドーピング回避のため、漢方薬を服用していましたが、下痢のため脱水症状に悩まされていたそうです。

このような体調では、オリンピックでいい結果が出るはずないですよね。

 

ライバルの宗猛さんのロサンゼルスオリンピックの結果は、4位でした。

オリンピック選考会では瀬古利彦さんが1位だったのに、オリンピック本番では宗猛さんが順位が上の結果になってしまいました。

陸王の毛塚直之が茂木裕人を選手として大きくリードしているところと重なって見えてしまいます。


陸王モデル・瀬古利彦さんの苦悩

新しいライバルが現れました。中山竹通さんです。中山竹通さんは「瀬古さんはたいしたことない。」と言いました。

1985年のワールドカップマラソンで瀬古利彦さんの記録を23秒更新したのです。

世間はソウルオリンピックの金メダル候補は、中山竹道選手だと言われるようになりました。

その後中村清監督が、瀬古利彦さんの結婚式の3週間前に亡くなりました。

ソウルオリンピックに向けて準備しなければないのに、監督がいないことでさらに不安になります。

いったん弱気にあった瀬古利彦さんですが、立ち直ります。

トレーニングを積んだ結果、1986年のロンドンマラソン・同年10月シカゴマラソン・1987年ボストンマラソンで見事優勝しました。

ところが、また瀬古利彦さんに不運がおとずれます。1987年ソウルオリンピックの選考会である福岡国際マラソンで負傷のため欠場しました。

福岡国際マラソンの3週間前に調整を兼ねて駅伝に出場しました。その駅伝で足を剝離骨折してしまったのです。

しかし、まだ瀬古利彦さんに選考のチャンスはありました。選考に内定したのは2名でした。まだ1名決まってなかったのです。

選考レースでもあるびわ湖マラソンに出場し、見事優勝しました。

 

オリンピックの代表選手に瀬古利彦さんは選ばれました。しかし、問題がありました。

優勝した時のタイムが平凡なタイムであったことと、福岡国際マラソンの3位の選手より悪いタイムだったのです。

瀬古利彦さんの代表選手選考に疑問の声が上がりました。そして、バッシングを受けるようになったのです。

おかげで瀬古利彦さんは、うつ状態になりました。この時が瀬古利彦さんにとって、マラソン人生の中で一番辛かったそうです。

ソウルオリンピックでは、瀬古利彦さんの順位は9位でした。ちなみにライバルの中山竹道選手は、4位でした。

陸王モデル・瀬古利彦さんの引退とその後

ソウルオリンピックの後、千葉国際駅伝での日本チームのアンカーを務めたのを最後に引退しました。

今度は指導者の立場でマラソンを関わることになりました。

エスビー食品陸上部監督として瀬古利彦さんの新しい人生が、始まりました。

1990年から4年の間は早稲田大学競争部のコーチと兼任しました。

第69回の箱根駅伝で早稲田大学は総合優勝を果たしました。

2004年アテネオリンピックに国近友昭さんを日本代表に送り出しました。

2006年エスビー食品陸上部の監督を退任しました。

現在はDeNAランニングクラブ総監督として活躍されています。

最後に

陸王の茂木裕人はアトランティスから契約解除をされてしまいました。

アトランティスのピエール滝さん演じる小原賢治は価値のないと判断した選手には切り捨てていく人物です。

その時の茂木裕人の心境は悔しかったに違いありません。

アトランティスを退職した村野尊彦から”こはぜ屋”を紹介されます。

そして、こはぜ屋の製作したシューズで”陸王”を履いて、選考会に臨みました。

最後は足がつってリタイアをしてしまいましたが、圧巻な走りを見せたのです。

公式レースに参加するとができました。見事上位入賞したのです。茂木裕人が復活しました。

 

スポーツ選手はいつも調子がいい時ばかりではありません。つらい時期もあるのです。

活躍している時の世間は、ちやほやしたり期待をかけますが、ダメになると手のひらを返したように批判します。

茂木裕人と瀬古利彦さんは、つらい時期を経験しています。うまくいかない選手達の気持ちを理解できるということです。

茂木裕人はまだ現役の選手ですが、引退したら瀬古利彦さんのような陸上部の監督になるのでしょうか?

茂木裕人の陸上部監督の姿も見たいですね。

陸王 茂木のモデルは?についてでした。


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